コラム

クリニック給与体系設計の手順と失敗しないための全知識

クリニックの給与体系設計、どこから手をつければいいか分からない先生へ

「スタッフに給料の不満を言われたが、そもそも今の給与体系に根拠があるのか自信がない」「開業時に前の病院を参考に給与を決めたが、もうそのままでいいのか不安になってきた」——こうした声は、開業1〜3年目の院長先生から非常によくいただきます。

給与体系の設計は、採用・定着・モチベーションのすべてに直結します。にもかかわらず、「感覚で決めてしまった」「昇給基準がない」「評価の仕方が分からない」という状態のクリニックは、実際にとても多い。

この記事では、クリニックの給与体系をゼロから設計・見直す際の考え方・手順・よくある失敗を、実務レベルで解説します。読み終えたら、自院の給与体系に何が足りないか、次に何をすべきかが具体的に見えるはずです。

なぜ今、クリニックの給与体系を見直す必要があるのか

医療業界の人材市場は確実に変わっている

厚生労働省「令和4年賃金構造基本統計調査」によると、看護師の平均賃金は着実に上昇傾向にあります。一方、中小規模のクリニックは病院ほど体系的な給与制度を持っていないケースが多く、「なんとなく決めた初任給をずっと据え置いている」という状態が珍しくありません。

採用市場は病院・クリニック・訪問看護・施設などが同じ人材を奪い合う構図です。給与水準が相場を下回っていれば、そもそも求人に応募すらされない時代になっています。

感情的な昇給が組織を不公平にする

基準のない給与体系で起きがちなのが、「声の大きいスタッフだけ昇給している」という状態です。不満を口に出せる人が得をして、黙って働いている人が損をする。この不公平感は、表面には出にくい分だけ根が深く、ある日突然「実は辞めようと思っていました」という退職につながります。

給与体系の設計は、スタッフ全員に対して「うちのクリニックはこういう基準で評価する」と示す経営メッセージでもあります。

クリニック給与体系設計の全体像:3つの構成要素

給与体系は大きく①基本給の設計、②手当の設計、③昇給・評価制度の設計、この3層で考えます。どれか一つが欠けても機能しません。

①基本給の設計:相場感と役割等級

基本給は「この役割の人には最低これを払う」という土台です。設計の第一歩は、自院が採用したいポジション(例:看護師・医療事務・医療助手)ごとに、地域の相場を調べることから始まります。

参考にすべきデータとして、厚生労働省が毎年公表する「賃金構造基本統計調査」や、ハローワーク求人統計、都道府県の医師会・看護協会が出している賃金実態調査があります。自院の地域と職種で相場を確認し、「採用競争に参加できる水準かどうか」を最初に確認してください。

次に、役割等級(グレード)を設定します。看護師であれば、「スタッフ→リーダー→主任→看護師長」のような段階です。各等級に対応する基本給の範囲(バンド)を決めることで、「この等級に上がったらこの給与帯に入る」という見通しをスタッフに示せます。

②手当の設計:シンプルさが正義

手当は種類が多くなるほど管理コストが増え、スタッフにとっても「何の手当が何のためにあるのか分からない」状態になります。手当は「その手当をなくした時に採用・定着に影響するか」を基準に精査するのが原則です。

  • 資格手当(看護師免許・医療事務資格など):有資格者のモチベーション維持と採用競争力に直結するため設定しやすい
  • 役職手当(主任・リーダー等):責任の重さに対する対価として明確に設定する
  • 通勤手当:法令上の非課税限度額内で設定(月15万円以内・公共交通機関利用の場合)
  • 扶養・家族手当:近年は見直す動きもある。設定する場合は就業規則との整合性を確認

「皆勤手当」や「勤続手当」を複数重ねている古いクリニックもありますが、評価制度が整っていれば手当に頼る必要は減ります。シンプルな体系に整理することをお勧めします。

③昇給・評価制度の設計:「いつ・何をもって上げるか」を明文化する

最も重要で、かつ最も設計が後回しにされるのがここです。「毎年4月に頑張った人を上げる」では制度とは言えません。

昇給制度の最低限の要件は次の3点です。

  1. 昇給の時期(例:毎年4月・年1回)
  2. 昇給の判断基準(例:評価シートの総合評価がB以上・勤続年数・役割等級の充足)
  3. 昇給幅の上限と下限(例:定期昇給は月額1,000〜5,000円の範囲)

この3点を就業規則と給与規程に明記することで、「なぜ私は上がらないのか」という不満を「制度上の基準を確認しましょう」という対話に変えられます。

クリニックでよくある給与体系の失敗パターン5選

失敗①:開業時の給与をずっと変えていない

開業時に「前の病院を参考に」設定した給与をそのまま5年、10年と据え置くケースがあります。相場は毎年動いています。特に都市部では、開業当初は競争力があった給与水準が、気づけば下位20%になっていたということが起こります。

失敗②:評価制度なしに昇給している

「この人は頑張っているから上げよう」という院長の主観だけで昇給が決まっている状態。一見、問題なさそうに見えますが、評価されていない側のスタッフは静かに不満を積み上げます。基準のない昇給は、チームの公平感を確実に壊します。

失敗③:手当が複雑すぎて誰も把握していない

開業から年数が経つと、「あの時に追加した手当」が積み重なり、給与明細の内訳が10項目以上になっているクリニックがあります。スタッフ自身も何の手当かを把握していない状態は、モチベーション管理上も問題です。

失敗④:パートと常勤の時給換算が逆転している

常勤スタッフの時給換算額より、パートスタッフの時給の方が高くなっている「逆転現象」が起きているクリニックがあります。これが発覚すると、常勤スタッフのモチベーションが著しく低下します。常勤・パート・業務委託の時給換算を定期的にクロスチェックすることが必要です。

失敗⑤:給与規程が就業規則と矛盾している

労務トラブルに発展するリスクが最も高いのがこれです。就業規則と給与規程(賃金規程)が別々に作成・改定されてきた結果、内容が矛盾しているケースがあります。特に社会保険労務士に依頼して作った就業規則を、その後院長が独自に改変した場合に起きやすい。整合性の確認は社会保険労務士に必ず依頼してください。

給与体系を設計・見直す際の実務ステップ

STEP1:現状の棚卸しをする

まず、職種ごとの現在の給与(基本給・手当・合計額)を一覧化します。次に、同じ職種・経験年数で地域相場と比較します。厚生労働省「賃金構造基本統計調査」の職種別・都道府県別データが参考になります。このステップで「うちは相場より高いのか低いのか」を客観的に把握します。

STEP2:等級・グレードを設計する

職種ごとに等級(グレード)を2〜4段階で設定します。等級ごとに「この等級に期待する役割・スキル・行動基準」を言語化します。この「等級定義書」こそが、評価制度の根拠になります。

STEP3:各等級の給与バンドを決める

等級ごとに「最低額〜最高額」のレンジを設定します。例えば「看護師スタッフグレードは月額25万〜28万円」のように範囲を持たせることで、同じ等級内でも評価によって差をつけられます。

STEP4:評価シートを作る

評価項目は「業務遂行力」「チームワーク」「専門性の向上」など、クリニックが大切にしている価値観に沿って設定します。項目は5〜7つ程度に絞るのが現実的です。多すぎる評価項目は院長・管理者の運用負担を増やし、形骸化します。

STEP5:就業規則・給与規程に反映し、スタッフに説明する

制度を作ったら、必ず書面に落として就業規則・給与規程を改定します。改定後は全スタッフへの説明が不可欠です。「こういう基準で評価し、昇給を決める」と明示することが、スタッフの信頼につながります。

給与体系設計における「院長がやりがちな勘違い」

給与を上げればスタッフは満足する——これは半分しか正しくありません。給与は「不満を解消する要因」ではあっても、「モチベーションを上げる要因」ではないことが多い(ハーツバーグの二要因理論として知られています)。給与体系の整備は「離職を防ぐ基盤」であり、それだけで「働くやりがい」までカバーできるわけではありません。

一方で、給与への不満は口に出されにくいため、院長が「うちのスタッフは給与に満足している」と思っていても、実態が違うことは多々あります。定期的なスタッフ面談や匿名アンケートで、給与に関する実態を把握することを習慣にしてください。

また、給与体系を整えることと、労務コンプライアンスを整えることは別の作業です。最低賃金法・労働基準法・社会保険適用のルールは、給与体系設計の前提として必ず社会保険労務士と確認してください。

よくある質問

Q. 給与体系を見直す際、既存スタッフの給与を下げることはできますか?
原則として、既存スタッフの給与を一方的に引き下げることは労働契約法上、不利益変更として認められない場合があります。見直しの際は「現行以上を維持しながら新制度に移行する」設計にするか、労務の専門家(社会保険労務士・弁護士)に必ず相談したうえで進めてください。
Q. 評価制度を作っても院長が一人で評価するのが公平かどうか不安です。
院長一人評価でも、評価基準(等級定義・評価項目)が明文化されていれば、「なぜその評価なのか」を説明できます。主

参考情報:厚生労働省中央社会保険医療協議会(中医協)

References

  1. 厚生労働省. 令和4年賃金構造基本統計調査 結果の概況. 厚生労働省. 厚生労働省
  2. Shields MA, Ward M. Improving nurse retention in the National Health Service in England: the impact of job satisfaction on intentions to quit. J Health Econ. 2001;20(5):677-701. PubMed
  3. Caricati L, et al. Work climate, work values and professional commitment as predictors of job satisfaction in nurses. J Nurs Manag. 2014;22(8):984-994. PubMed
  4. Hasselhorn HM, et al. Intention to leave nursing in Europe. Int J Nurs Stud. 2008;45(12):1645-1655. PubMed
  5. 厚生労働省. 令和4年医療施設(静態・動態)調査・病院報告の概況. 厚生労働省. 厚生労働省
この記事を書いた人
古川 瑞紀
合同会社Mizu 代表
看護師・MBA(経営学修士)

クリニックの運営支援(経営・マーケティング・人事マネジメント)、保険診療クリニックへの自費診療導入、電子カルテやシステム導入まで幅広く対応。単なる助言ではなく、現場にあわせて伴走するスタイル。

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